文字サイズ

カテドラル

カテドラルとは教区司教が司教座を有し、宗教行事を行うところの教区の最も重要な聖堂のことをいいます。

カテドラルという語は、ギリシャ語のカテドラに由来し、この語がラテン語に入って『司教座』を意味することになります。初期キリスト教においては、カテドラルは権威の象徴であり、「エクス・カテドラル」という表現は、ペトロの後継者としての教皇が荘厳に教える権利を意味するようになりました。司教は自教区内のどの教会にも一時的に司教座を設けることができますが、通常は司教自身の居住する町のなかにある特定の教会を継続的な司教座として確定し、それが(教区)司教座聖堂と呼ばれます。ローマではサン・ジョバンニイン・ラテラノ大聖堂が、ローマ司教としての教皇の固有の司教座です。世界中の司教座聖堂の多くが、建立された時代の代表的建造物で建築上の発展をよく示しています。

大浦天主堂のカテドラルとしての歩み

大浦天主堂のカテドラルとしての歩みは、1866年にプティジャン神父が日本代表司教に任命されたことから始まります。創建されてから四年後のことです。1877年に日本の教区が南緯と北緯の代表区に分けられた時、しばらくカテドラルをとかれますが(大阪に移す)、1882年にまたもどされます。1892年に長崎教区として正式に発足した際には、改めてカテドラルに指定されています。その後、1962年山口大司教は再建された浦上教会(浦上天主堂)を司教座聖堂に指定しました。

プティジャン司教 1866~1876年、1879~1884年 仏国人
1866年に司教に任ぜられ、大浦天主堂を司教座とする。
1876年に日本が南北に分けられ南の司教座は一時的に大阪に移される。
1879年に再び長崎にもどり、大浦天主堂を司教座とする。
ジョゼフ・ローケーニョ司教 1884~1885年 仏国人
1884年にプティジャン司教が没したあと1年未満着座。
ジュル・アルフォンス・クザン司教 1885~1911年 仏国人
長崎司教として26年在位。
ジャン・クロード・コンパス司教 1912~1926年 仏国人
長崎司教として14年在位。
ヤヌワリオ・早坂久之助司教 1927~1937年 日本人・仙台市生る
長崎が最初の邦人司教区として独立すると共に、初代邦人司教として任ぜられ長崎司教として、10年間在位。
パウロ・山口愛次郎大司教 1937~1962年 日本人・長崎市生る
1959年には長崎大司教となり、昭和37年(1962)には再建された浦上天主堂(浦上教会)は司教座聖堂となる。
PAGE TOP